生と死に向き合うことで分かる大事なこと

こんにちは、Gene-K です

僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。

生きるためなんだ。

アンドレ・マルロー

「今日、明日、明後日… 私は絶対に生きている!」という保障はありません。残念ながら・・・

生きるものは、この世に産まれた瞬間に、死への行進が始まっているのです。

その到着点への早い遅いはあっても、誰もが平等に必ず死を迎えるのです。

その死がいつなのかは分かりません。当事者でさえも。

自分自身にふりかかることで、自分にも分からないことには、常に不安がつきまといます。

でも、どうでしょうか。

普段の生活の中では「いつ死ぬか」について、驚くほど日々鈍感に過ごしていますよね?

むしろ鈍感でないと、まだ見えぬ将来に希望を抱いて生きていくことができません。

究極の鈍感力です。

人間の思考心理というものは実によくできたものです。

今日と同じ明日が必ずやって来るものだと思って生きていると、一日一日の大切さに鈍感になってしまいます。

今日、明日、明後日? いま生きているのに、まさか自分が死ぬ?そんなことはないだろうと…

しかし、アンドレ・マルローのことばのように、自分の死についてきちんと向きあった途端に、生きることの価値、今日という日の価値がガラッと変わります。

もしも明日、死んでしまったとしても、悔いのないように今日を精いっぱい生きようと。今日やるべきことをしっかりやり遂げようと。

セネカのことばのように。

毎日を最後の一日のように思いつつ生きよ。

セネカ

そして、セルバンテスのことばに励まされながら。

生命のあるかぎり、希望はあるものだ。

セルバンテス

死について考えることを不謹慎とする人もいます。

でも、生きている以上、死は誰にも訪れる、変えられない事実です。

事実から目をそらさず、勇気をもって生きていくことにより一日一日の大切さを実感できるはずです。

チャップリンの言葉は、死と生の意味を考えさせられます。

死と同じように避けられないものがある。

それは生きることだ。

チャールズ・チャップリン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA